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ジロ・デ・イタリア 1984 : ウィキペディア日本語版
ジロ・デ・イタリア 1984
ジロ・デ・イタリア 1984(Giro d'Italia 1984) は、自転車による競走である「ジロ・デ・イタリア」の67回目のレースである。1984年5月17日から6月10日まで、全22ステージで行われた。
==概要==
前年のツール・ド・フランスにおいて、見事ベルナール・イノーの代役を果たして総合優勝したローラン・フィニョンが、当年はダブルツールを目指して登場した。また、当年年初にアワーレコードを更新した(後に非公認記録となる)フランチェスコ・モゼールが悲願のジロ制覇を目指した。今大会は序盤から両雄が激しくマリア・ローザ争いを演じ、結局この2人だけが今大会でマリア・ローザを着た。
第20ステージを制したフィニョンが久々にモゼールからマリア・ローザを奪回した。しかし、モゼールとの差はわずかで、最終ステージの個人タイムトライアルまで決着は持ち越しとなった。そして、最終ステージにおいてモゼールがアワーレコード更新を果たした脚力により再びフィニョンを逆転して、悲願の総合優勝を果たした〔フィニョンは5年後のツール・ド・フランスにおいても、今大会と似たような形で逆転負けを喫することになる。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジロ・デ・イタリア 1984」の詳細全文を読む



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